事恢
例復

Alice side - 03

恢復事例。

+-0

知らない感情でした。
それはきっと、私たちがこれまで読み飛ばしていたことば。
それはきっと、私たちがこれまで不要と断じてきたきもち。
それはきっと、本当は必要だったこと。
私はそれをなんと呼べばいいのかわかりませんでした。
ただ私の内側で見えない何かしらが不可逆的に変化したことを、
革靴の下、砕けたレンズが物語っていたのかもしれません。

-3

気持ちの良い朝でした。
橙色がかった照明が毎日同じ朝食を毎日同じくらい美味しそうに照らしてくれる。
私はいつものようにその薄味の完全食をミルクで流し込みました。
喉に僅かにこびり着いたその粒が咳嗽を誘います。
この食べ方が一番美味しいのです。17年の人生とその内14、5年の摂食が裏打ちしたレシピ。
噎せこみつつ洗面台へ向かう。シャツの釦の掛け違い、毛先の開いたブラシと切れた歯磨き粉。
お気に入りの眼鏡、リムの繊細な丸眼鏡、鼻あての歪んだ眼鏡。
鏡に向かい掛けてみます。何時ものように6度傾く。
途端、視界は強烈な違和感を顕しました。
左のヨロイを指で押す。正常に戻るこの世界。

-2

名前、なんだったでしょう。
玄関扉に差し込むために作られたもの。
何故家の出入りに余計な過程を設けるのか、
誰も教えてくれませんでしたしそもそも誰も知りませんでした。
そんな習慣なくなればいいのにな、ここのところ頻繁にそう感じます。
それでも染み付いた習慣は容易になくなりはしません。
いつもどおり私はそれを掛けた後、扉を開くことを試みます。
強い抵抗。デッドボルトの支える音。
鍵を掛けなければいけない、そんな■■感はどこにだってありはしませんでした。

-1

家を出て回頭。バス停へ向けて足が自動的に動く、
その移動プロセスは私の意思の外側で強制的に中断されました。
気がつけば無人の観客に囲まれて/囲まれず、プロセニアム・ステージの中央、
消灯したスポットライトに照らされて/照らされずにいました。
「挨拶」を、しなければなりません。
「私は[任意の人名]、15歳、善良な矯正済の女です」
何らかの感情により上擦った声、受動的かつ自動的。
お辞儀が行われようとしたが、何らかの障害により上半身の運動が妨げられる。
私の右手側後方から、何かの愉しそうな声が聞こえ、私は安らぎ、そして強烈な衝撃を受けました。
再度上がる愉しそうな声。
酩酊感のようなものを感じるけれど、私によって何かが愉しい気持ちを享受できているならば
私はそれによって嬉しい気持ちを得ることができました。
自然と口元が「ニヤつ」き、再度強烈な衝撃を受けます。
何かが私から外れ、少し離れた場所で軽い金属音を立てました。
そしてそれは何かの革靴の下でガラスの砕けるような音を立てました。

+1

再び意識を取り戻した時、私は血と痣と吐瀉物に塗れて廃れた劇場のステージの上で縛られたまま伏せていました。
私の口からどろりとした不快な赤い痰が飛び出しました。
私の呼吸は正常な調子を失い、不格好に嗚咽を上げ始めます。
矯正器具の取り去られすこしぼやけた視界は勝手に滲み始め、さらに世界に対する認識を朦朧とさせています。
自分一人では最早起き上がることさえ出来ぬ私は、ただただ自動的な反応に身を任せていました。

+2

クラスメイトの[任意の人名]、15もしかしたら16歳、女性はベンチで談笑しつつ、
目の前に立つ男性から小便を掛けられていました。
真っ白い制服には少しばかり黄色い染みができ、不快な悪臭を漂わせていました。
教室の生徒はみんなそんな感じだったけれど、みんなそれに気づいちゃいませんでした。
だから私が狂ってしまったのでしょうね。
口元をしょうもない悦楽に歪ませたスーツの少年が掛けてくる足を避けました。
「恢復事例め!」少年の声、モディファイドアベニューじゅうの非手術どもが、
私を取り囲んで暴行を始めました。
私はなすすべもなく、やがて薄れていく意識に身を任せました。

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